「燃えよドラゴン」ENTER THE DRAGON
原題/龍争虎闘(Longzheng Hudou)

1973年【アメリカ・香港】
コンコルド・プロダクションズ、ワーナー・ブラザース、セコイア・ピクチャーズ合作
製作/フレッド・ワイントローブ、ポール・ヘラー、鄒文懷(レイモンド・チョウ)
監督/ロバート・クローズ  助監督/張蔭鵬(チャップリン・チャン) 
脚本/マイケル・オーリン 撮影:ギルバート・ハッブス、チャールズ・ロウ 編集/カート・ハーシュラー  
武術指導/李小龍(ブルース・リー) 音楽/ラロ・シフリン
出演/リー=李小龍(ブルース・リー) ローパー=ジョン・サクソン、ウィリアムス=ジム・ケリー、タニア=アーナ・カプリ、オハラ=ボブ・ウォール、ブレイス・ウェイト=ジョフリー・ウィークス、パーソンズ=ピーター・ア-チャー、ハン=石堅(シー・キエン)、瑞蓮=茅瑛(アンジェラ・マオイン)、美玲=鐘玲玲(ベティ・チュン)、ボロ=楊斯(ヤン・ツェ)、武芸者=劉永(トニー・リュウ)、ラオ=童偉(トン・ウェイ)
日本公開 1973年12月22日 ワーナー日本支社配給

錆色の魔都
 「燃えよドラゴン」公開中、何度も劇場へ足を運んでるうちに気づいたことがあって、それは上映されているフィルムの色調がセピア調とも違う海老茶色っぽい発色の、まるで画面全体が錆びついたたようなイメージを感じたことだ。二番館で観た時併映された「ポセイドンアドベンチャー」と比べると色調の違いが一目瞭然だった。
 これってフィルムの退色なのだろうか? いや、公開されたばかりの映画でまさか退色ということはないだろう。これは意図的に色調整がなされたものだと理解した。
 後年、「燃えよドラゴン」がビデオ化された時、早々とこれを鑑賞したのだが…おおむね内容には満足しつつも、色調に関してはあの錆色の色調がなぜか取り払われていて、これこそが自然の色なのだろうが、画面が妙に青っぽくて「なんか変だな」と多少残念な感想を持った。
 残念といえば、トップのワーナーブラザーズのクレジットタイトルも公開当時のワーナーの旧タイプクレジットタイトル(アルファベットWのロゴが繰り返しズームアップで画面に迫ってくるもの)でなく新規の「青空の中のWBタイトルロゴ」のものに差し変わっていたことにも不満を感じた。
燃えよドラゴン-タイトルバック/ジム・ケリー
 その後「燃えよドラゴン」の公開から約30年の時が流れ、この映画が久々に劇場の大スクリーンでリバイバル公開されるというので、渋谷の劇場へワクワクしながら足を運んだ時のことを思い出す。
 そこで観た「燃えよドラゴン」はまさに30年前の再現で、画面の色調もあの「錆色」がかったものだった。「そうそう、この色だよ!」と大いに興奮した。しかもオープニングのロゴタイトルも「W」の文字がクローズアップで画面に迫ってくるものだったのだが、その画像が現れた瞬間に劇場中からものすごい歓声が起こった。これは多分、リバイバルに訪れたこの観客のほとんどが公開当時に鑑賞した経験を持っていて、わたし同様に当時と変わらぬ映像に再び出会えた感動の結果に違いない。
燃えよドラゴン-小舟のローパー
 1995年だったと思うが「返還前の香港を今のうちに見ておかなければあとあと後悔することになるかもしれん」と思い立ち、友人と二人で香港へ旅行することになった。
 飛行機が啓徳空港に到着し、機外へ出た途端、話には聞いていたのだが、独特のにおいがしてきた。何とも例えようもない妙なにおいだった。ある人は「中華料理に使う香辛料の臭いじゃなかろうか」などというが、もしこのにおいを色に例えるとすれば、、、そう、あの「錆色」というのが一番ぴったりな気がする。
 
    1995年頃の香港
 監督のロバート・クローズは映画「燃えよドラゴン」の舞台となる香港に長期滞在するうち、次第にこの街に魅了され愛するようになったとのちに語っているが、においのことに関してはこう言ってる。「わたしの妻などは、飛行機が着陸する前から悪臭が畿内に立ち込めてきた、といいはってる」「いいにおいではなかった」と。
 ひょっとしたら、ロバート・クローズ監督は色彩によって香港のにおいまでもフィルムの中に表現したかったのではないだろうか?

  マーシャル・アーツ  
アンジェラ〜ス・リン
 コメディ映画で「〇〇分に一度必ず笑わせます」などというキャッチフレーズをよく見かける。この「燃えよドラゴン」はアクション映画である、それゆえにストーリーがある程度進行すると数分間隔で約束されたようにアクションが始まる、というぐあいに、全体にアクションシーンが散りばめられていて観客を飽きさせない。
 冒頭、少林寺武道大会のブルース・リーの見事なアクションから始まって、回想シーンという趣向でジム・ケリー、ジョン・サクソンのアクションが登場し、なかなかの見せ場になっているが、それらの回想シーンのトップで登場するのがアンジェラ・マオ・イン。
 彼女のアクションには特別に度肝を抜かれた。なぜって、その時までわたしは女優の本格的なアクションシーンといこのうものを一度も見たことがなかったから。
 この時点ではジャパンアクションクラブも無ければ、あの志穂美悦子もまだスクリーンに登場してないという頃の話である。せいぜいテレビ映画「キイハンター」で、野際陽子が敵に蹴りを入れ、そのへたくそなアクションをニッコリと笑顔でごまかすと、そんな程度のレベルだった。
angera-ス・リンの闘い
 アンジェラ・マオ・インのアクションを当時の映画評で「くるくる回転して、彼女はまるで踊ってるように見える」というのがあったが、まだ「後ろ回し蹴り」なんて高度な技とかはほとんどの人は知らなかった。どういう動きをしてるのか正確にわからずとも、ちゃんと蹴りが敵の顔面にヒットしてるようだ「彼女のアクションは本物だ!」日本中の観客がそう感じて驚いたはずである。
 このシーンはやがて悲劇的な結末を迎えるのだが…それにしても香港の飾らない生活感のある情景の中、ラロ・シフリンのチャイニーズ風アレンジの効いた軽快なBGMに乗って展開するアンジェラ・マオ・インのキュートなアクションのなんと心地の良いことか。
リー『ダーツの女性』
 主役ブルース・リーの本格的なアクションはなぜか映画のタイトル後からしばらく見ることができない。当初「燃えよドラゴン」の英語版では冒頭の武術大会シーンはなく、このシーンが入った香港版を観た監督が気に入って後から英語版へ追加されたシーンだというから、もし元のまま完成していたら、中国語圏以外の世界の観客は期待していたブルース・リーの肝心のアクションが全く見れないままえんえんと待たされることになり、もっとジリジリしていたことだろう。これは例えば、モンスター・ムービーで肝心のモンスターをもったいぶってなかなか登場させないという趣向と同じ線を狙ったものなのか。
 さて待望のリーの本格的なアクションは物語の中盤、仇敵オハラとの対決という大きな山場の形で実現し、それまでと違った異様な静けさの中始まる。勝負はリーが圧倒的な力の差見せつけるようにして勝利し短時間で決する。立て続けに三本負けたオハラはその屈辱に激昂し反則によって反撃を試みる。そこからバック転キックあり、後ろ回し蹴りなどのアクロバティックなアクションが賑やかに始まる。我々の目はこの後半の派手なアクションに注目しがちになるが、じつは最初の三本勝負こそが凄かったのだ。
リーとオハラの決闘
 ブルース・リーの武術に魅了され、その勢いで「日本拳法」に入門した友人がいて、発売されたばかりの「燃えよドラゴン」のビデオを早速、彼とふたりで鑑賞することになった。 一通り鑑賞すると、当然我々の興味はブルース・リーのアクションの分析の方へ移っていった。ビデオだとスロー再生やコマ落としが見れるので新鮮に感じた。問題のオハラとの三本勝負の箇所へくると「おい、ブルース・リーってすげえな!」とふたりで驚いた。コマ落としで見てもリーの反応が早すぎると感じたのだ。特に三本目の動きが驚きで「こんな複雑なことやってたのかよ!こんなの普通に見てただけじゃわかんねえよ!」「凄すぎる」と、ふたりで大いに盛り上がったものだ。
 このシーンの撮影でのロバート・クローズ監督の証言で『彼の手がボブ・ウォールを打つところを見せるために、われわれはカメラのスピードを32コマに上げなければならなかった。ノーマルなスピードでは、画面に映らなかったのだ』というのがある。
 ううむ、通常の高速度撮影の48コマ(2倍)、72コマ(3倍)というような所謂スローモーションでもない、32コマという微妙な数字に真実味が感じられる。

ロバート・クローズ監督の著書
   THE MAKING OF ENTER THE DRAGON
「ブルース・リーの燃えよドラゴン完全ガイド」(ロバート・クローズ著)は監督自身の言葉で語られた撮影の裏話などがわかる貴重な資料本と言って良い。
 ただ、この本で残念なのは紙質が良くなく、せっかくの写真が不鮮明なこと。今から二十年ほど前にわたしが購入したものです。この本を読んでみて、実は「燃えよドラゴン」が完成したのはほぼ奇跡に近かったということを実感する。
 ワーナーの社長テッド・アシュレーは「TVのパイロット版並みの予算で一本映画が撮れる」といって重役たちの反対意見を退け、のちの「燃えよドラゴン」となる映画の制作にゴーサインを出した。そのため制作にかけられる予算が極端に少なく、ギャラの安さで降板する俳優も出た。(この俳優はのちに絶対後悔したと思う)
 

 その他、文化の違い、言葉の問題で意思疎通が難しいなど、困難が山積みだった。
そして、ブルース・リーが撮影開始後たった一週間で映画を降りる決意をしてしまった。
 脚本家のマイケル・オーリンとブルースの意見が合わず、関係が最悪になり、この問題がこじれてブルースが制作のフレッド・ワイントロープとポール・ヘラーから裏切られたと思い込んでしまったこと。それに、なんとワーナーから別の新企画の映画の脚本がブルースの元に送られてきたというのだ。
 彼はロバート・クローズに『「燃えよドラゴン」を全くの白紙にして、全てのスタッフをアメリカに帰したい』と伝えた。ただしロバートには新たに取り組む映画の監督を任せたいという。ロバートだけは信頼していたのだ。
 ロバートは「これまでかかった予算のことを考えたらそんなことはできるはずがない」とブルースを辛抱強く説得し、やがて撮影が再開されることになった。
 ロバート・クローズが香港に着いた時、ブルース・リーは自身の主演作である「ドラゴン怒りの鉄拳」を上映している映画館に案内した。そこでの中国人観客のものすごい熱狂ぶりを目の当たりにして驚くロバート・クローズに満足したブルースは、映画の終了直前、自分たちの正体がバレないようにロバートを促し、こっそりとふたりで退場した。 様々な困難の中でブルース・リーとロバート・クローズ監督の関係は最後まで良好だった。これは映画「燃えよドラゴン」にとって、まことに幸運なことだったと思う。

 
     
 また、わたしが興味深く思ったことのひとつにロバート・クローズの妻アンが、その名がクレジットされていないにも関わらず、「燃えよドラゴン」の多くの美術セットデザインに深く関わっていたということ。ハンのミュージアムに飾られたガラスケースに飾られた骸骨の手は彼女のアイディアだという。脚本の内容から考えて、ハンが自前の失った手を記念にミュージアムに飾ったとしてもおかしくないと思ったというのだ。監督は早速このアイディアを採用して脚本に手を入れ、ハンとローパーの会話の中にそのやりとりを付け加えた。
 彼女には最初、言葉が通じない中国人たちとうまく仕事ができるとは到底思えなかったが、
必要な小道具をスケッチに描き、絵という言語を超えた伝達手段で的確にイメージを共有することに成功したという。なんの問題もなかったと。
 これはいいことを聞いた!これは使える。もし、今後海外旅行するときはスケッチブックか筆記用具は必ず持って行こう!
 例えば、どこか外国のレストランで目玉焼きを頼もうとして、この国では「目玉焼き」をなんというのか?などと考えなくても、下手くそな目玉焼きの絵を描いて見せればすぐに通じるというわけだ。
 いや、これはわたしの仕事でも痛感することだ、どんなイラストが欲しいのかを言葉でイメージを伝えてもらったり、写真や他の絵を提示して「これのうんと情緒的なバージョンを」などと言われてもピンとこないことがある。
 そこで「1〜2分くらいかけたサラッとしたスケッチでよいのでちょっと描いてもらえませんか?」という。今までの経験上こういう方法が一番的確に伝わるのである。ただし『何をいう、描くのはあんたの仕事だろうが』と言われそうだけど。
 
鏡の部屋のブルース・リー
  さて、話を戻して、中国人の美術スタッフとアンは言語の違いを乗り越えて意思の疎通を見事にクリアした。
 鏡の部屋の元ネタはよく言われるような「上海から来た女」ではなくロバートとアンのオリジナルのアイディアということにこの本ではなってる。本人が言うから間違いないと思うし、偽る意味もさほどないと思う。
 ハンとの最後の闘いはミュージアムだったが、これをどう終わらせるかということでロバートは頭を悩ませていた。
 ある日夫婦でホテル近くのブティックの中へ行ったとき、そこにちょうど「鏡の部屋」と同じ効果が現れる短冊状の鏡の列が目についた。ロバートはアンが鏡に映る効果に魅了された後、今度はアンと交代して自分が映る様子を妻に見るように指示した。その後彼女は早速メジャーで鏡の寸法を測り始めた…鏡の部屋のシーンでは撮影開始以来初めてロバート・クローズとブルース・リーの意見が対立した。
 目の前にハンがいるのに、見当違いの場所を攻撃するように言われたりするのをブルースは『それじゃオレが間抜けに見えてしまうじゃないか』と反論した。
 ブルース・リーの言うこともわかる気がする。出来上がった映像では、鏡の部屋がものすごく広大で、複雑極まりない迷路に見えるが、何度も繰り返し見るうちに、実際にはそれほど広さのないセットであり、カメラアングルの工夫にによって鏡の効果を何倍にも拡大して見せているらしいことがわかってくる。現場ではもちろん「迷路」でもなんでもなかったのだ。
 ブルース・リーはアクションの専門家であるが、映像としての見え方の専門家はロバート・クローズ監督である。
 ブルースがセットに入る前に代役を立て2日間もかけてカメラアングルやアクションを念入りに決定して行ったのだと言う。実際に、出来上がった映像を見たブルース・リーは大いに興奮して喜んだと言う。
 わたしたち観客も、リーが「鏡の部屋」へ注意深く入って行くあたりから、次々と繰り出される目の眩むような映像美に思わず見入ってしまったのだった。

考えるな!感じろ

考えるな!感じろ!

 当時の「燃えよドラゴン」パンフレットに掲載されてた映画評論家淀川長治氏の担当された紹介文に、『これぞ映画の面白さ!』とこの作品を熱く語って絶賛されていたのが記憶に残ってる。
 一方でブルースリー・ブームのおかげで、沢山の雑誌、写真集誌が発売される中、ある映画雑誌のコーナーで、公開中のいくつかの映画を数人の評論家たちが批評、採点する記事が載っていて、これを読んでみたところ「燃えよドラゴン」に対する採点が他の映画に比べて不当に低いことに驚いた。言い草も上から目線で『香港映画の中ではまあマシな方だろう』『ブルース・リー君がひとりで頑張ってた』などと偏見を含んで見下した感じでいやだ。
 リアルタイムで自分の周りの友人たちの熱狂ぶり、またテレビのブルースリーの特集番組が目白押しの中、温度差がありすぎると感じた。これは月刊誌の記事だったため、この評論家達が試写で観たのと一ヶ月近くのタイムラグがあったためこの盛り上がりを前もって予測できなかったこともあるだろうが、それにしても評論家というのは信用できないものだと思った。『それに比べたら淀川さんはわかってる』『やっぱり淀川さんは本物だ』とこれ以降、淀川長治氏の映画批評は襟を正して真面目に聞くようになった。 
 映画史に残る名作も公開当時は意外と評価が低いということが個別に例を挙げるまでもなくよくあることだ。今までになかった突飛な映画だったり、芸術映画以外にいい物が出来たりすると評論家達が戸惑うのかもしれない。
 「燃えよドラゴン」は映画史に残る名作映画である一方で娯楽アクション映画だ。チャンバラ映画や忍術映画、無国籍映画などと同じジャンルなのかもしれなくて、その辺が偏見を持たれる理由なのかもしれない。「燃えよドラゴン」はツッコミを入れようと思えばいくらでもできる。『手のひらに乗ったダーツを軽くひと吹きしただけで、空中のリンゴに突き刺すような芸当などできっこないと思える、少なくとも口に頬張るべきだ』とか、『ガラスの破片で腹を刺してあんなに簡単に死ねるわけがない。彼女は喉を突くべきだった』など、こういう理屈をいちいち気にしてリアルにやったら見苦しい絵になり、映画全体がなんだかやりきれない鬱な映画になりそうだ。
   

「燃えよドラゴン」のサウンドトラックがカセットテープで発売された時、これを買って毎日のように聴いていた。曲ごとに使用されたシーンの映像が浮かんできて気分も高揚して楽しんでたのだが、ある雑誌に載った映画音楽の批評で『メインタイトル曲以外はこれと言ってめぼしいものはない』というのを読んで急に自分が恥ずかしくなってしまった。『楽しんで聞くような良い曲ではないのか?』と…いや、いや、いや、ちょっと待て!これはおかしな話じゃないか。
 例えば、ある映画でものすごく感動し、終わった時にはボロボロ涙が出て止まらなかったのを、誰かの批評を聞いて『これは感動すべき映画ではないらしい、あそこで泣くのは間違ってた』などと思い直すなんてのは全くマヌケで情けない話である。 感覚は感覚であって感動は考えてコントロールできるものではない。うっかりして、他人の評に乗っかってしまうところだった。
 難解な映画を「私にはあの映画はわからない」などという人がよくいる。「わかる、わからない」などと難しく考えるより、例えば「好きか、嫌いか」で判断すれば良いと思う。「ピカソの絵がわからない」と考えるより「ピカソの絵は赤塚不二夫の絵と同じくらい好きだ」そんな感じ方で良いのではないか。


 「燃えよドラゴン」のオープニングで、師匠のリーが弟子に武道を教えるファンに大好評のシーンがある。おなじみの「考えるな、感じろ」と言って月を指し示す教え。
 ある人のわたしの絵に関する質問の答えに「絵を描く上でテクニックより例えば『武道の教え』がとても参考になることがあります」と言ったら、その人は変な顔をした。これはカッコつけではなくて現実に本当にそう感じることがよくある。
 絵の師匠、いや、「芸術の神様」が空に浮かぶ月を指さして教えてる。「お前の表現すべきものはあれだ!」と、ところが本人は「神様の指先にどんな意味があるのだろう?」あるいは「神様は月を指さしているが、それにはどんな意図があるのか?」と、その秘密を探ろうと芸術の神様を一生懸命見続けている。
 大抵「芸術」の本質はシンプルで明快なものである。ところが無意味に深読みしすぎたり、見当はずれな考えなどして大変な回り道をしてやっと真理にたどり着けることがよくある。

 気がついて振り仰ぐと、最初からそこには丸く美しい月が輝いていた…



           ENTER THE DRAGON

燃えよドラゴン/ハンとタニア

 「燃えよドラゴン」の撮影が終わり編集作業も終わる頃、プロデューサー側はこの映画のタイトルに『ブラッド・アンド・スティール』か『ハンズ・アイランド』という案を考えた。しかし、ブルース・リーは「ENTER THE DRAGON」のタイトルにこだわってプロデューサー側の案を引っ込めさせた。中国の故事「登竜門」から、「急流を昇った鯉が竜になる」=「出世する」になぞったものらしい。
 テレビ映画「グリーン・ホーネット」のレギュラー、カトー役で人気の出たブルース・リーは、カンフーを取り入れた新たなテレビ映画の主役にと請われプロジェクトに参加協力した。しかし、結果的に主役には他の俳優が選ばれた。「アジア人の俳優では主役は務まらない」というハリウッドにある根強い偏見のせいだった。
 この屈辱でテレビの狭い画面に見切りをつけ「いつかハリウッドのメジャーマークがついたシネマスコープサイズの映画に主演する」と誓い、彼はその後香港に渡り、3本の主演映画を大ヒットさせた。もちろん、それで彼が満足するはずがない。
 ブルース・リーのオフィスには形の曲がったメガネが壁に止めてあった。下積み時代のブルース・リーは妻と二人餓死寸前で、メガネを買い換える余裕もなく、折れて壊れたメガネを無理にセロテープで止めて使っていた。その頃の苦労を忘れないため、自戒の意味で壁に飾っているというのだ。
  
 1973年5月、アテレコのためカルフォルニアに来ていたブルース・リーはロバート・クローズと共に音入れ後の映画の出来栄えを観た。「これだよ」観終わったブルースが微笑みながらロバートに言った。「やったな」  

 ワーナー・ブラザーズの上級幹部たちはほぼ完成した映画を観て「有頂天」になり、映画音楽(ラロ・シフリン)と宣伝のため、追加の予算が投入されることになった。  配給の責任者レオ・グリーンフィールドは『映画が完成するまで、わたしはこれっぽっちも話を聞かされていなかった。』『でもあの映画を観た瞬間、これはいけると確信したよ。そりゃあもうはっきりと』と、のちに語った。    
 

「燃えよドラゴン」は世界中で記録的な大ヒットとなって、その低予算の制作費と比較して他に類を見ない能率の良さで莫大な興行収入を稼ぎ出した。日本でもこの年の12月に公開され、これまで知られてこなかったブルース・リーが大人気となったが、その時本人はすでにこの世を去っていて、当然与えられるべき膨大な報酬も、輝ける賞賛も彼は受けとることはなかったし、劇場の中に潜んで、観客の反応をこっそり楽しむことさえできなかった。

  

1973年7月20_ブルース・リー死亡(32歳没)

The Big Battle/Enter The Dragon
 

 

 

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